GENE BERG JAPAN

History of Gene Berg

1996年1月4日 一人の偉大な人物が天に召された。

彼の名はGene Berg
VWのパイオニアとして40年以上もVWに捧げてきた人物であり、彼の存在なくしては今日のエアークールドVWの発展がなかった、といっても過言ではない。享年59歳。心臓病によるあまりにも早い死であった。ここに追悼の意と敬意を込めて彼の生き様を振り返ってみよう。

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Gene Berg Has it all 【Cal magazine 1997年7月号】

フルフローオイルフィルターキット、進角の目盛りがついたパワープリー、T型ハンドルのクイックシフター、そしてウェバー用のスロットルリンケージ・・・ただひとつだけ手にしたものがある。私ごとで恐縮だが、今から12年近く前に欲しかったGene Bergの製品だ。そのいずれも手にすることはできなかったがただひとつだけ手にしたものがある。それはGENE BERG Has it allと印刷されたギラリと光る一枚のデカール。
それをダッシュボードに張って、悦に入っていた記憶がある。たいしたチューンもしていなかったけれど、そのデカールのパワーは絶大で、限りない夢と希望を与えてくれたことは今でも忘れられない。

とにかくGene Bergの名前は、空冷VW乗り、特にハイパフォーマンス指向の人間にとっては特別な響きを持ち、憧れの存在であったことは間違いのないことだ(もちろん今でもだ)。そのGene Bergについては、以前にも本誌においてインタビューレポートをお届けしているが、彼についてここでもう一度振り返ってみたい。

家族が語るREAL HARD MAN. Geneの素顔

67gnboys.jpg Bergファミリーは全員VWの虜だ。彼の愛妻DeeはVWグッズのコレクターだし、息子のGary、Doug、Clydeとも自らレーサーを駆り、ビジネスを継いでいる。もちろんGeneの影響である。そんな彼の素顔は一体どんなものだったのだろうか。

Deeはいう。「いつも一緒だったけど、とにかくクルマとモーターサイクルが大好きで、いつまでたっても少年みたいだったわね。そしていつも一緒だったのがVW。もちろんビジネスだから当然だけど。いわゆるクラフツマン・タイプで自分のやりたいことをガンガンやっていく人だった。プライベートもいつもVWのことでいっぱい。私も好きだったから全然苦じゃなかったし、お互いリスペクトしあっていたわね」と。

もちろん息子たちもかなり影響を受けている。しかし、それはクルマだけではなさそうだ。現場を一手に引き受けるGaryは語る。「バイクでもクルマでもいつも一緒に遊んできた。そういう意味ではすごくいいオヤジだった。それに、ビジネス、個人の関係を問わずまたクルマに対してもなんに対しても常にまじめに一生懸命とりくんでいたよ。何かをやり遂げる、そういう心の強い人物だったね。ぼくらも仕事を引き継ぐ上でそういう姿勢を大事にしている」ひたむきで一生懸命な姿勢が、語らずとも子供たちに伝わっているようだ。シンプルでハードな生きざまは、父として夫として最高の人物であったに違いない。

Gene BergがVWアフターマーケットパーツを製造、特にドラッグレースに裏付けされたハイパフォーマンスパーツ、レーシングパーツをリリースしていることは周知のことだろう。数多くのレーサーたちやFORDやCHEVYイーターを目論む世界中のVWスピードフリークたちが今もなおGene Bergのパーツを求める。それは高い技術力と素晴らしい品質によって裏付けされたものだからだが、なんといってもGene Berg本人の持つこだわりや姿勢がプロダクツに反映されているからにほかならない。

66wntrnl.jpgモンタナ州で生まれ、若き日をシアトルで過ごした彼のホビーはHOTRODだったそうだ。VWとの運命的な出会いはDeeと1956年に結婚した時、ハネムーンで故郷のモンタナを訪れた際に叔父の所有する55年式のTypeIをドライブしたことがきっかけだったという。家に帰るとすぐにオーダーをいれたという逸話が残っている。ここからVWとともに道を歩む日々が始まったのだ。

以前にHOTRODを所有していたこともあり、パワーに不足を感じるようになった彼はその新車にいくつかのモディファイを加えることを決意。しかし、なにかスペシャルなものをつけたのではなく、エンジンをバラバラにし、ひとつひとつパーツを検証。バランス取りやポートアンドポリッシュといった、いわゆるファインチューンを施し70MPHの巡航速度を85mphまで引き上げることに成功している。その後ディーラーのメカニックにドライブさせて「こいつに何をしたんだ?」と驚かせたあげく「何もしてないよ、壊れて速くなったんじゃないの」と答えたという。

さて、そんな話を聞いた周囲のVW乗りが彼にモディファイを頼むようになるわけだが、この手のことがきっかけで商売をはじめた、というパターンはよく聞く話だ。しかし彼は違った。自分なりの仕事を引き受けつつVWのディーラーに勤めVWのことを徹底的に知ってやろうと心にきめ、ランチの時間も惜しんで仕事をこなしていたという。この原動力は「VWというクルマを速く走らせたい。だれよりも速く」という一心のみ。すごくストレートで純粋だ。夢にむかって徹底的に突き進む、素晴らしいマインドを持った男であったのだ。

overshldr.jpgその後、会社を設立し自ら61年式のBugを駆ってドラッグレースに参戦しつつ、日夜研究に励み、いいものをよりよく、ないのなら作るという徹底した態度で製品を作り出してきた。ハイパーフォーマンスそしてハイクオリティ。カタログを見てもハデなパーツはあまりない。目に見える部分ではなく目に見えない部分にこだわりがあるから。ジーンバーグのパーツはまるで彼そのものなのだ。

元来、心臓が弱かったことは自分自身知っていたようだ。体調が悪くても病院に運ばれるまで仕事をしていたそうだが、すでに悪化。ペースメーカーを使えば、延命できたにもかかわらず、彼はそれを断った。享年59歳。あまりにも早い死であった。きっと彼の一徹したハードな生きざまは、後生まで語り継がれることだろう。次にVWに乗る機会があったらぜひGene Bergのパーツを使ってみたい。その時、またMr.Gene Bergに合うことを楽しみにしながら・・・・・・。

常にアグレッシブ パフォーマンスVWのパイオニア

Geneとは長い付き合いだった。パートナーとしてSanta Anaで仕事を共にしたこともある。彼は本当にこの世界でのパイオニアのひとりで、そして常に長いあいだアグレッシブにものごとを追求できる男でもあった。彼の家族のみんなが、遺志をついで頑張ってくれることを望みたい。

オリジナルEMPI ディーノ・デノザウルス ディーン・ローリー(From VW Trends)

明確な目標と自信をもった常に先を見ることのできた男

ぼくは数回ほどしかお会いしたことがないけれど、パーツそしてレースに対する姿勢と自信には絶対のものがあった。それに何をどうしたらできるかということが分かっている人だったと思う。ぼくらも目には見えない要の部分には彼の製品を使っていたね。それにいつも最新だった。コンピューターを使うなんて当時は考えられなかったのに多用していたしね。いろんな意味で影響を受けています。亡くなられて非常に残念だ。

FLAT4代表取締役 小森 隆

温かくそして時には熱く、VW文化に貢献した最高の人物

九州の小さなショップのため、憧れであったGENE BERGの名を使用したく、お願いしたところ、「ぼくも小さいショップからスタートして大きくなった。キミもガンバレ」といって快く承諾してくれた経緯があります。素晴らしい人物です。本当にクオリティの高い商品だから日本でも低価格で普及させたいですね。亡くなられて、ぼくらはショックが隠しきれず、ただただ氏のご冥福を祈るばかりです。

GENE BERG JAPAN社長 益田 了一

フルスピードでVW界を引っ張った人生

Geneはコピーではなくコピーされる側であった。最初のウエルド・カウンターウエイト・クランクからフォージド・スーパークランクまで、いつも彼が最初に作りだしていた。しかも彼のパーツにたいする情熱はフルスピードで駆け抜けていた。彼の製品はベストだ。何一つ欠陥はない。VW界のイノベーターとしてまた一流のテクニシャンとして私はいつも彼を尊敬していた。彼の業績を決して忘れることはないだろう。

PRA ビル・テイラー

もっともコピーされた偉大なVWの貢献者

Geneの業績は計り知れない。彼のアイディアと開発に対する姿勢はVWのすべてにおよぶ。そして私たちは彼の素晴らしいものに触れることができた。彼はいつもベストのものを追求し、考え、そして実際に産み出していた。Geneはおそらく、もっともこの業界においてコピーされてきた男だ。そしてニセGene Bergが今後もでてくるだろう。今後も彼の道志を家族がまもってくれることを願っている。

CBパフォーマンス ボブ・トミルソン (From VW Trends)

VW界に新しい流れを築いた永遠不滅のスピリット

故人にあったのは忘れもしない76年のオレンジ・カウンティレース場。まぶしいくらい 輝いていて、一目で魅了されましたね。その時カウンターウエイト・クランクの話を聞き、早速購入したことがあります。20年たったいまでもそれはスタンダードのままで使用できる状態です。あらためて彼の完璧なまでのパーツに対する追求を感じずにはいられません。きっと彼のスピリットは後生まで受け継がれていくでしょう。

BEE HAUS代表 植野 朗